このページでは茨城県古河市の雀神社・古河長谷観音・鶴峯八幡神社・永光寺の御朱印をご紹介しています。
古河市は、享徳4年(1455年)に第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から本拠を移した(享徳の乱)ところで、その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年間引き継がれた歴史あるところです。
室町時代の関東の状況については教科書に取り上げられることも少ないので、相当な歴史好き以外はあまり観光にも行かないようですが、
古河公方公園内の古河公方館跡などの見どころもありますし、東京から十分日帰りで行けますので、御朱印巡りと併せての観光をお勧めします。
目次
雀神社 茨城県古河市
雀神社の御朱印
【雀神社概略】
社名の「雀」は「鎮め」(しずめ)が変化したものとされる。社伝によれば、崇神天皇の御代に豊城入彦命が東国鎮護のために勧請した「鎮社(しずめのやしろ)」に始まるとされる。一方、清和天皇の貞観年間(859年~877年)に出雲国出雲大社の分霊を祀ったことに始まるとする伝承もある。室町時代・戦国時代には、足利成氏ら歴代古河公方家の崇敬を受けた。長禄元年(1457年)に成氏が参拝し、「天下泰平国土安穏」を祈願したと伝えられている。
専用駐車場を利用しました。御朱印は授与所にていただきました。近くに源頼政を祀った頼政神社があるようでしたが場所がわからず行き着けませんでした。
【祭神】
大己貴命 少彦名命 事代主命
【鎮座地】
茨城県古河市宮前町4-52
古河長谷観音 茨城県古河市
古河長谷観音の御朱印
【古河長谷観音概略】
戦国時代の明応2年(1493年)、初代古河公方の足利成氏が古河城の鬼門除けとして、鎌倉の長谷寺から十一面観世音菩薩立像を勧請し、堂舎を建立したことが起源。
日本三大長谷観音の一つとされる。専用駐車場があります。御朱印は納経所にていただきました。
近くのイタリアレストラン「唐草」で昼食を摂りました。地元の方ですごく混んでいました。安くて美味しかったです。
【名称】
明観山観音院長谷寺 真言宗豊山派
【場所】
茨城県古河市長谷町5-1
鶴峯八幡神社 茨城県古河市
鶴峯八幡神社の御朱印
【鶴峯八幡宮鵜概略】
当地の御稲荷に必勝祈願し、富士川の合戦に勝利した源頼朝が、養和元年(1181年)8月に鎌倉・鶴岡八幡宮を勧請したことに始まる。
室町時代に、鎌倉公方が足利成氏が元栗橋にあった栗橋城にが入り、鎮守であった鶴ヶ峰八幡宮に参拝祈願していた。その後近世まで、古河城歴代城主に崇敬された。
江戸時代に日光街道が整備されると、その宿場町「栗橋・中田宿」の鎮守として、日光参拝に向かう徳川将軍も旅の安全を祈願するなど崇敬された。
日光街道から一本入った裏道沿いに位置します。交通量はそれほどでもないので駐車場の出入りには問題ないかと思われます。
御朱印は授与所にていただきました。
【祭神】
誉田別命、神功皇后、経津主命、倉稲魂命
【鎮座地】
所在地 茨城県古河市中田1337-6
永光寺 茨城県古河市
永光寺 北関東三十六不動第三十四番 の御朱印
関東八十八箇所第三十九番の御朱印
【永光寺概略】
承和10年(843年)に無善和尚によって開山。その後、天明2年(1782年)、第18世の宥覚の頃に伽藍が整い、数多くの末寺を有して隆盛を極めた。
牡丹、シャクナゲなどの花が見事で「花の寺」として観光的にも有名。
道路沿いにお寺の駐車場が幼稚園の駐車場とともにあります。御朱印は納経所にていただきました。
【名称】
道楽山地蔵院永光寺 真言宗豊山派 本尊:不動明王
北関東三十六不動第三十四番、関東八十八箇所第三十九番、葛飾坂東観音霊場番外
【所在地】
茨城県古河市尾崎954
境香取神社 茨城県境町
境香取神社の御朱印
境香取神社概略
下総国の香取神社から勧請したものと思われるが、度重なる水害により資料が流失しているため詳細は不詳。
デザイン御朱印などが多数あり御朱印ファンに優しい神社。
境町は「ふるさと納税」などで積極的な運営を行っており、「道の駅境町」など魅力的な施設もありますので、お参りの際には立ち寄ってみると面白いかと思います。
祭神
経津主大神、誉田別命
鎮座地
茨城県猿島郡境町宮本町1758