このページでは京都市上京区の北野天満宮、東向観音寺、大将軍八神社、北区の平野神社・椿寺の御朱印をご紹介しています。
目次
北野天満宮 京都市上京区
北野天満宮の御朱印
鬼切丸 別名髭切の御朱印
オリジナル御朱印帳
【北野天満宮概略】
延喜3年(903年)、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられ、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。天暦元年6月9日(947年)、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。永延元年(987年)に初めて勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の称が贈られた。正暦4年(993年)には正一位・右大臣・太政大臣が追贈された。通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。
一度目は市バスで、次回は大将軍八神社から徒歩で参拝しました。御朱印は一度目は社務所にていただきましたが今回は専用の御朱印受付ができていました。オリジナル御朱印帳は一度目の参拝のときにはありませんでしたが、今回購入しました。
【祭神】
菅原道真公
【鎮座地】
京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
東向観音寺 京都市上京区
東向観音寺 洛陽三十一番の御朱印
【東向観音寺概略】
806年(延暦25年)大納言藤原小黒麿及び賢璟法師が桓武天皇の勅により創建し、当初は朝日寺といった。947年菅公(菅原道真)廟をこの地に移し、本尊十一面観音は菅公自作の尊像を961年筑紫観世音寺より招来したもの。西向及び東向の二堂あったが、西向堂は既に廃絶し、東向の堂が残るのみ。
北野天満宮のとなりにあり、徒歩で行きました。御朱印は納経所にていただきました。
とても親切に対応して下さり、洛陽三十三観音巡礼を始めることに。こちらで専用納経帳を購入しました。前回、写真を撮らなかったので、北野天満宮に再訪の折に撮影しました。
【名称】
朝日山東向観音寺 真言宗泉涌寺派 準別格本山 本尊;十一面観世音菩薩
洛陽三十三観音第三十一番札所
【所在地】
京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863
大将軍八神社 京都市上京区
大将軍八神社の御朱印
オリジナル御朱印帳
【大将軍八神社概略】
大将軍は陰陽道の方位神であり、とくに建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神であるため、長きにわたり民間の崇敬を集めた。平安京建設時、王城鎮護のため都の方除け乾(戌亥・北西)の天門守護として造営され、当初は大将軍堂と呼ばれたという。江戸期に入り大将軍社と改称、明治期に現名称へと変更された。
北野天満宮から徒歩で行きました。御朱印は授与所にていただきました。
前回の参拝以降にオリジナル御朱印帳が販売されたので、購入のため再訪しました。当日はお化けのイベントをやっていて様々なコスプレの人がいて面白かったです。
【祭神】
素盞嗚命、御子神八柱
【鎮座地】
京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
平野神社 京都市北区
平野神社の御朱印
【平野神社概略】
桓武天皇 の平安京遷都にともない、延暦13年(794)に平城京田村後宮から現在の地に遷祀。古くから宮中と密接な関係を持ち、桓武天皇の生母・高野新笠の祖廟として平城宮で祀られていた。皇太子守護の性格を持つ神社で、平安時代には例祭「平野祭」には皇太子自らによって奉幣が行われた。
北野白梅町から徒歩で行きました。御朱印は授与所にていただきました。御朱印帳を売っていましたがオリジナルかどうかはわかりませんでした。(当時は不明ですが、現在はオリジナル御朱印帳があるようです。)
【祭神】
今木皇大神、久度大神、古開大神、比売大神
【鎮座地】
京都市北区平野宮本町1番地
椿寺(地蔵院) 京都市北区
椿寺(地蔵院) の御朱印
洛陽三十三観音第30番の御朱印
鍬形地蔵の御朱印
【椿寺概略】
726年(神亀3年)行基が摂津国に建立したのが始まりと伝えられ、室町時代におきた明徳の乱(1391年)で焼失したのを室町幕府3代将軍足利義満によって衣笠山の麓へ移された。天正年間(1573年~1592年)豊臣秀吉の命により現在地に移された。豊臣秀吉が椿を寄進したことで知られ椿寺(つばきでら)の名で知られる。
地蔵堂に安置する地蔵菩薩は行基作と伝えられる。
北野天満宮から大将軍八神社へ向かいそこから徒歩で行きました。御朱印は納経所にていただきました。
【名称】
昆陽山地蔵院(通称:椿寺) 浄土宗 本尊:阿弥陀如来
洛陽三十三観音第30番
【所在地】
京都市北区一条通り西大路東入る大将軍川端町2