諏訪大社4社と諏訪エリアの御朱印




このページでは諏訪湖周辺の諏訪大社4社(諏訪大社上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮)および手長神社、温泉寺、仏法紹隆寺、長円寺、平福寺、久保寺の御朱印をご紹介しています。

行政区画では諏訪市・茅野市・下諏訪町・岡谷市)などに分かれてしますが、地域としてほぼ一体となっており、範囲もそれほど広くはないので、駆け足で回れば一日で全て回ることも可能かと思います。

2018年秋に諏訪紅葉三山巡りという企画でお参りしたときの旅行記を私の別ブログでご紹介しておりますので、併せてお読みいただければと思います。

⇒ 諏訪紅葉三山巡りで御朱印をいただく

目次

諏訪大社上社本宮 長野県諏訪市

諏訪大社上社本宮の御朱印

オリジナル御朱印帳

【諏訪大社上社本宮概略】

諏訪大社は長野県の諏訪湖の南北にそれぞれ二つずつ、合わせて四つの神社の総称。

諏訪湖南側には「前宮」「本宮」があり北側には「春宮」「秋宮」がある。南側の2社を「上社」北側の2社を「下社」と呼びます。(北側が上の現在の地図からすると違和感がありますが、都に近い方を上、遠い方を下とすること(上野・下野)(上総・下総)からかと思われます。別の由来があれば教えてください。)

天正十年(1582)の織田信長の武田攻めの際の兵火により社殿のほとんどを焼失しましたが、江戸時代に順次再建されました。

1回目の参拝のおりは近隣お土産店の駐車場を利用しました。(こちらにあるトイレは綺麗です。)

2回目は神社の手前を左折したところにあり神社の無料駐車場を利用しました。

御朱印および御朱印帳は境内に入って右手側の授与所にていただきました。

2018年11月に2回目の参拝をして、写真はその時に撮影したものです。

【祭神】

建御名方神、八坂刀売神

【鎮座地】

長野県諏訪市中洲宮山1

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 諏訪大社上社前宮 長野県茅野市

 諏訪大社上社前宮の御朱印

【諏訪大社上社前宮概略】

諏訪大明神が最初に居を構えた地とされています。上社の祭祀の中心である大祝家の居館があった場所です。

奥の森は長らく立ち入り禁止になっており古墳か何かかと思われます。

現在の社殿は昭和七年伊勢の神宮の御用材を以て建られたものだそうです。

旧鎌倉街道沿いの山間にあります。他の3社に比べて自然信仰が強い感じで雰囲気が少し違います。

観光客も他と比べて少ないようですが是非とも立ち寄るべきかと思います。

神社の向かいの参拝者駐車場を利用しましたが本殿前にも駐車場があります。参拝だけならそちらを利用すると階段を登らなくて済みます。

ただし授与所は下にありますので御朱印をいただくならばどちらを利用しても同じかなと思います。

【祭神】

建御名方神、八坂刀売神

【鎮座地】

長野県茅野市宮川2030

諏訪大社下社春宮 長野県諏訪郡下諏訪町

諏訪大社下社春宮の御朱印

【諏訪大社下社春宮概略】

下社は諏訪郡の下諏訪町に春宮・秋宮が近くに鎮座しています。

社頭からの直線道路が800Mほどあり、かつては春宮の専用道路だったとのこと。ここで下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競ったそう。

近くに万治の石仏もあり見所が多いです。

神社のすぐ前にある参拝者駐車場を利用しました。入り口が狭いのでわかりづらく、一度は通り過ぎていまいました。

御朱印は授与所にていただきました。こちらで諏訪大社4社の御朱印巡りを終え、記念の落雁をいただきました。

【祭神】

建御名方神、八坂刀売神

【鎮座地】

長野県諏訪郡下諏訪町193

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 諏訪大社下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町

 諏訪大社下社秋宮の御朱印

【諏訪大社下社秋宮概略】

諏訪大社4社の中で最も諏訪湖に近い神社です。下社の神は8月初めから1月末までは秋宮に、2月初めから7月末までは春宮に奉られているそうです。

駐車場から近いのでお参りしやすいです。

参拝者駐車場は神社の右手にあります。御朱印は授与所にていただきました。

【祭神】

建御名方神、八坂刀売神

【鎮座地】

長野県諏訪郡下諏訪町5828

手長神社 長野県諏訪市

手長神社の御朱印

足長神社の御朱印

八剱神社の御朱印

【手長神社概略】

元は桑原郷の総鎮守で、足摩乳命とともに祀られていた。のちに鎌倉時代に桑原郷が上桑原と下桑原に分けられたとき、下桑原に手摩乳命を祀る手長神社が作られ、上桑原の足長神社とともにそれぞれの鎮守となったとされる。足摩乳命を祀る足長神社もある。

手長神社の授与所で足長神社、八剱神社の御朱印もいただきました。駐車場も数台分ですがあります。

【祭神】

手摩乳命

【所在地】

長野県諏訪市茶臼山9556

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温泉寺 長野県諏訪市

温泉寺 諏訪紅葉三山巡りの御朱印

温泉寺の御朱印

中部四十九薬師霊場7番の御朱印

中部四十九薬師霊場7番の御朱印

諏訪三十三番観音霊場24番の御朱印

諏訪湖畔七福神布袋尊の御朱印

諏訪三十三番観音霊場24番の御朱印

【温泉寺概略】

二代高島藩主諏訪忠恒が寛永17年(1640年)に建立。以降、高島藩諏訪市の菩提寺となり、歴代藩主の廟があります。本堂と山門が焼失したため、明治2年に高島城から移築された。

諏訪紅葉三山巡りで拝観しました。普段はご不在のことが多いと聞いていましたが、イベント中でしたので受け入れ態勢も万全のようでした。特別拝観として経蔵内を見ることができました。

一番上のカラーの用紙のもののみ書置きで、残りは納経所にて書いていただきました。

【名称】

臨江山温泉寺 臨済宗妙心寺派 本尊:釈迦如来

中部四十九薬師霊場7番、諏訪三十三番観音霊場24番

【所在地】

長野県諏訪市湯の脇1-21-1

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仏法紹隆寺 長野県諏訪市

仏法紹隆寺 諏訪紅葉三山巡りの御朱印

仏法紹隆寺の御朱印

諏訪大社本地仏 普賢号の御朱印

諏訪大社本地仏 普賢号の御朱印

諏訪三十三観音第十七番の御朱印

諏訪三十三観音第十七番の御朱印

伊那諏訪八十八霊場第二十三番の御朱印

伊那諏訪八十八霊場第二十三番

【仏法紹隆寺概略】

大同元年(806年)征夷大将軍坂上田村麿が諏訪大明神へ戦勝報告の際に「神宮寺」と共に開基。開山から天正年間まで諏訪大社別当を務め、江戸時代には諏訪高島藩の祈願寺を務めた。明治の廃仏毀釈時には高島藩真言宗筆頭寺として神宮寺の伽藍の再興等に尽力したがかなわず、諏訪大明神本地普賢菩薩・普賢堂脇仏文殊菩薩・蓮池院本尊大日如来などが密かに運び込まれた。

伝運慶作不動明王像や諏訪大明神本地普賢菩薩などの貴重な文化財が諏訪紅葉三山巡りに合わせて特別公開されていました。わざわざ見に行く価値がある素晴らしい仏様でした。

明治期の廃仏毀釈はかなり深刻な文化破壊であったと現地で直接見聞きすると強く感じます。

お寺までの道が少し狭いので恐々行きましたが、自主的一方通行になっているようで対向車に合わずに行き帰りできました。御朱印は全て書置きのものをいただきました。

【名称】

鼈澤山 仏法紹隆寺 高野山真言宗 本尊:薬師如来

諏訪三十三観音第十七番、諏訪八十八ヵ所第五十八番、諏訪百番霊場中三十二番、伊那諏訪八十八霊場第二十三番、伊那諏訪八十八霊場客番神変山神宮密寺

【所在地】

長野県諏訪市 大字四賀桑原4373

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長円寺 長野県茅野市

長円寺 諏訪紅葉三山巡りの御朱印

諏訪三十三観音第五番の御朱印

諏訪三十三観音第五番の御朱印

諏訪八十八霊場第八十四番の御朱印

諏訪八十八霊場第八十四番の御朱印

【長円寺概略】

紅葉の名所として知られています。

慶安二年(1649)に武田信玄の弟武田備前守(信玄に背き追放されたという)の甥である武田慶尊法印により開山。明治の廃仏毀釈のおり旧諏訪大明神の本地仏である薬師如来(鎌倉時代作)が移されました。

紅葉の名所として知られるだけあって、写真を撮りに来ている方が多かったです。駐車場はあまり広くありませんが、駐車場整理のガードマンさんがいました。紅葉シーズンの休日は大変な混雑するそうです。

御朱印は上のカラー台紙のもののみは書置き、それ以外は直接書いていただきました。

【名称】

清龍山長円寺 真言宗智山派 本尊:金剛界大日如来

諏訪三十三観音第五番、諏訪八十八霊場第八十四番

【所在地】

長野県茅野市 玉川穴山11373

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平福寺 長野県岡谷市

平福寺の御朱印

平福寺の御朱印

日限地蔵尊の御朱印

日限地蔵尊の御朱印

【平福寺概略】

開基は不詳ですが、14世紀に諏訪下神宮寺僧・憲明阿闍梨により中興され、隆盛時には伽藍七宇・門徒十一坊を有する大寺院であったとされます。

戦国時代に戦乱により荒廃したが、江戸時代に諏訪藩主の帰依を得て復興を果たした。

明治の廃仏毀釈において、諏訪大社の別当寺が廃寺となる中、あまたの檀徒や仏像が難を逃れて引き継がれることとなり、日限地蔵尊もその際に移されたという。

中山道沿いにあるお寺で、日限地蔵尊(おひぎりさま)の縁日(毎月23日)特に4月の例大祭には多くの参拝客が訪れるとのこと。御朱印は庫裡にていただきました。

【名称】

彌林山平福寺 真言宗智山派 本尊:金剛界大日如来

【所在地】

長野県岡谷市長地柴宮3-3-22

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久保寺 長野県岡谷市

久保寺の御朱印

久保寺の御朱印

諏訪三十三観音第二十九番の御朱印

久保寺 諏訪三十三観音第二十九番の御朱印

諏訪湖畔七福神 毘沙門天の御朱印

久保寺 諏訪湖畔七福神 毘沙門天の御朱印

【久保寺概略】

建治3年(1277年)の創建。大正11年の岡谷市湊地区の紛争により、同地の江音寺の檀徒が3つに分裂。うちの一つが新たに新寺を建設することになり、当時廃寺同然だった久保寺の寺籍が大正13年にこの地に移転されたそう。山門は高遠城の城門を移築したもの。

境内から諏訪湖の素晴らしい景色が一望できます。

御朱印は書置きが透明のケースの中(上の写真の右下あたり)の入っており、お金を入れていただきました。遠いところに行って御朱印をいただけないのは残念ですし、お寺の方がずっと対応されるのもそれはそれで大変でしょうから、観光寺院ではないところは、このような方式で良いのではないかと思います。

【名称】

霊湊多聞山 久保禅寺 臨済宗妙心寺派 本尊:釈迦如来

諏訪三十三観音第二十九番、諏訪湖畔七福神 毘沙門天

【所在地】

長野県岡谷市湊2-14-6

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諏訪湖エリア御朱印MAP

諏訪地方の観光案内はこちらをご覧ください。

⇒ 諏訪湖の観光スポット ~ 楽天たびノート

2018年秋に諏訪紅葉三山巡りという企画でお参りしたときの旅行記はこちらです。

⇒ 諏訪紅葉三山巡りで御朱印をいただく

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ABOUTこの記事をかいた人

ドライブと温泉が好きな歴史ヲタ。2012年に御朱印と出会ってから旅行の頻度がさらに上がってしまいました。運動不足で体力がほとんどないので車でできるだけ近くまで乗り付けるのをモットーにしています。