このページでは群馬県高崎市の榛名神社、山名八幡宮、上野國一社八幡宮、高崎神社、高崎観音、洞窟観音、白岩観音、成田山高崎分院、上中居諏訪神社、倉賀野神社、於菊稲荷神社、進雄神社、高崎市に隣接する玉村村の玉村八幡宮の御朱印をご紹介しています。
目次
榛名神社 群馬県高崎市
榛名神社の御朱印
榛名神社オリジナル御朱印帳
【榛名神社概略】
綏靖天皇の時代に饒速日命の御子、可美真手命父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれ、用明天皇元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられる古社。上野国六宮。
関東屈指のパワースポットとして知られています。確かに何かすごい気みたいなものを感じます。休日に行ったので駐車場待ちの列ができていましたが一番奥の近い駐車場に停められました。遠いところに停めなくてよかったです。御朱印は授与所にていただきました。オリジナル御朱印帳を購入しました。
【祭神】
火産霊神、埴山姫神
【鎮座地】
群馬県高崎市榛名山町849
山名八幡宮 群馬県高崎市
山名八幡宮の御朱印
【山名八幡宮概略】
清和源氏新田義重の子で、山名氏の祖の山名義範が12世紀末に宇佐八幡から分霊を勧請して社殿を造営したのが始まり。山名氏は鎌倉時代には源氏の門葉として重用され、室町時代には一族で全国の守護の6分の1を占めるなど隆盛を極めた。応仁の乱の西軍の大将の山名宗全もこの一族。
応永年間に南朝の尹良親王が山名城に滞在の折、城主世良田政義の娘が親王の子(良王君)を懐妊し、当社にその安産を祈願したと伝えられ、以来、子育て・虫封じの神としても信仰が篤い。
おしゃれな雰囲気の神社。スタイリッシュな社務所、綺麗なパン屋さんなど、かなり頑張っています。専用の駐車場があります。御朱印は授与所にていただきました。
この神社の先に「上野三碑」の一つである山上碑があります。
【祭神】
応神天皇、神功皇后、玉依比売命
【鎮座地】
群馬県高崎市山名町1581
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上野國一社八幡宮 群馬県高崎市
上野國一社八幡宮の御朱印
【上野國一社八幡宮概略】
天徳元年(957年)に源頼信が八幡荘に石清水八幡宮を勧請して創建されたといわれる。その後、 源頼義・義家父子や頼朝、さらには新田氏、足利氏、武田氏等関東源氏一門の崇敬を受けた。一般的に八幡八幡宮と呼ばれている。
国道18号線から一本道を上がって行きます。駐車場が左から回り込んで入りますが見通しがあまり良くないので出入りには注意してください。御朱印は授与所にていただきました。
【祭神】
品陀和気命、息長足姫命、玉依姫命
【鎮座地】
群馬県高崎市八幡町655
高崎神社 群馬県高崎市
高崎神社の御朱印
【高崎神社概略】
もともと熊野神社と称し、鎌倉時代中期に和田城主和田小太郎正信が相模国三浦より城内榎森に勧請し、後に慶長三年井伊直政築城の際に現在の地に移した。明治四十年境内末社十二社及び両度にわたり市内十七町鎮座の三十六社を合併し、この時熊野神社は高崎神社と改称された。境内に美保大國神社がある。
境内に駐車場があります。御朱印は授与所にていただきました。結婚式場を併設しており、当日はイベントをやっており、そこで「ぐんまちゃん」を見ました。
【祭神】
伊邪那美命、速玉男命、事解男命
【鎮座地】
群馬県高崎市赤坂町94
高崎白衣大観音(慈眼院) 群馬県高崎市
高崎白衣大観音(慈眼院)の御朱印
慈眼院の御朱印
【概略】
慈眼院はもともと高野山金剛峯寺の塔頭寺院のひとつで、創建は鎌倉中期、執権北条義時の三男、相州極楽寺入道重時と伝えられる。高崎白衣大観音は、昭和11(1936)年、高崎の実業家井上保三郎により高崎十五連隊の戦没者の霊を慰め、さらに高崎の発展を願って、古来観音に縁の深い観音山頂に建立された。
市営駐車場利用(有料)しました。御朱印は納経所にていただきました。案内表示に従ったら遠い駐車場に停めさせられました。平日なら近くの駐車場を利用できます。
【名称】
高野山真言宗慈眼院 高崎白衣大観音 関東八十八箇所霊場第一番
【場所】
群馬県高崎市石原町観音山
洞窟観音 群馬県高崎市
洞窟観音の御朱印
【概略】
400メートルを超える洞窟観音には、36体の観音像と10体を超える仏像が安置され、荘厳で神秘的な雰囲気が漂う。併設される山徳記念館は、近代漫画を築いた北沢楽天の作品や美術館も展示。記念館は名園として評価の高い「徳明園」内にある。
専用駐車場を利用しました。高崎観音から車で5分ほどのところにあります。入場料800円はちょっと高いと思います。
【場所】
群馬県高崎市石原町
白岩観音 群馬県高崎市
白岩観音(白岩山長谷寺)坂東三十三観音第十五番の御朱印
役行者の御朱印
【概要】
創建年代等については不詳であり、勅願により徳道によって創建されたとも、行基が十一面観音を刻んだとも伝えられる。最澄や空海がこの寺を訪れたとも伝えられる。その後、源氏(鎌倉将軍家)をはじめ新田氏・上杉氏などの信仰を得た。戦国時代の1566年(永禄9年)には武田信玄が箕輪城を攻めたときに類焼したが、1580年(天正8年)世無道によって再興された。古くから修験道の寺であったが、明治に入り一時天台宗に属することとなり、戦後現在の宗派となった。
参詣者駐車場を利用しました。御朱印は納経所にていただきました。
【名称】
白岩山長谷寺 金峰山修験本宗 本尊:十一面観音
坂東三十三箇所第15番
【場所】
群馬県高崎市白岩3583
成田山高崎分院光徳寺 群馬県高崎市
成田山高崎分院光徳寺 北関東36不動霊場第5番の御朱印
【概略】
大本山成田山新勝寺の分院。
高崎神社からすぐのところにあります。境内に駐車場がありますが入口が狭く出入りに苦労しました。本堂は二階にあり御朱印は一階の庫裏にていただきました。先客に北関東三十六不動尊霊場をまわっているというお婆ちゃんがいました。
【名称】
成田山 高崎分院 光徳寺 高崎成田山 真言宗智山派 本尊:不動明王
北関東三十六不動尊霊場第5番
【所在地】
群馬県高崎市成田町23番地
上中居諏訪神社 群馬県高崎市
上中居諏訪神社の御朱印
【上中居諏訪神社概略】
由緒については不詳であるが、信濃国の諏訪大社より勧請したと言われ、諏訪明神と称した。境内に諏訪湖に似た池があり、これを招神池といい、後年になって庭地になったといわれている。
高崎玉村ICから高崎駅に向かう中ほどにあります。境内の駐車スペースに駐車しました。御朱印は授与所にていただきました。高崎駅のこちら側は以前はほとんど何もなかったのですが、このところ広い道路も整備され開発が進んでいます。
【祭神】
建御名方神
【鎮座地】
群馬県高崎市上中居町1228
倉賀野神社 群馬県高崎市
倉賀野神社の御朱印
倉賀野神社のオリジナル御朱印帳
【倉賀野神社概略】
中山道倉賀野宿鎮座。創建は第十代崇神天皇の御代に東国の平定を命じられた御子豊城入彦命が都から捧持してきた亀石を御霊代として祭祀を行ったことによる。建長5年(1253)に倉賀野氏の始祖倉賀野三郎高俊が社殿を造営。江戸時代には中山道倉賀野宿と近隣七ヶ郷の総鎮守として崇敬を集めた。現在の社殿は江戸時代末期に造営されたもので皇女和宮降嫁の際の行列が通過した際は3日間工事を中止したとの記録が残る。
随所に彫刻が施され、かなり凝った造りの社殿です。
鳥啄池の岩屋と飯玉大明神の話はなかなか可哀そうな話でした。
広い通りから一本入った道沿いに駐車場の入り口があります。御朱印と御朱印帳は授与所にていただきました。
【祭神】
大国魂大神
【鎮座地】
群馬県高崎市倉賀野町1263
於菊稲荷神社 群馬県高崎市
於菊稲荷神社の御朱印
於菊稲荷神社オリジナル御朱印帳
【於菊稲荷神社概略】
天正10年(1582年)織田軍との神流川合戦に勝利した北条氏政により創建。宝暦年間、新町宿随一の売れ妓であった於菊が重病にかかり不治の病と宣告されたが、稲荷大明神の力により快癒。その後未来を予見できる不思議な霊力を得て、巫女として、遠方からの参拝者を含む多くの人の相談を受けたことから、いつしか「於菊稲荷神社」と呼ばれるようになったという。
御朱印が可愛いと評判の神社です。月替わりのや季節の御朱印などいろいろと趣向を凝らした企画等も行っています。個人的にはそのような種類の御朱印を集めるつもりはありませんが、多くの寺社の存立が経済的に難しくなっている中、このような試みも面白いかと思っています。
御朱印は授与所にていただきました。絵入りの御朱印なので待ち時間がかかりますが、平日の夕方に伺ったためか、そんなに待たずにいただくことができました。
【祭神】
宇迦之御魂神
【鎮座地】
群馬県高崎市新町247
進雄神社 群馬県高崎市
進雄神社の御朱印
【進雄神社概略】
貞勧11年(869年)、全国に疫病蔓延、地震・津波の被害著しく、清和天皇の勅掟により、尾州津島神社を勧請して「天王宮」として創建。天喜5年(1059年)源頼義が奥州征討のおりに参拝、凱旋時には社殿を修造、社領を寄進した。戦国~江戸期も当地を収めた大名家から崇敬を受けた。明治の神仏分離に際し、「進雄神社」と改称した。
駐車場を含めて、かなり広い社地を持つ立派な神社。境内も綺麗に整備されています。初詣にはかなりの人でごった返すそうです。御朱印は授与所にていただきました。
【祭神】
速須佐之男命ほか二十四神
【鎮座地】
群馬県高崎市柴崎町801
玉村八幡宮 群馬県玉村町
玉村八幡宮の御朱印
オリジナル御朱印帳
【玉村八幡宮概略】
鎌倉初期の建久六年(1195)源頼朝が角渕の地で休憩した際、その地形が鎌倉の由比ケ浜に似ていたため、鶴岡八幡宮の御分霊を勧請したのが当社の創祀とされる。江戸時代に当地一帯を新田開発した際に、その竣工後の慶長十五年(1610)に玉村の総鎮守として移設された。正保三年(1646)に日光例幣使街道が開設され、ここ玉村の地は宿場町として栄えたため道中安全や開運招福を願う旅人や一般庶民の崇敬を集めた。毎月10日に人形供養の感謝祭が行われることでも知られる。
最近になってできた高崎玉村スマートインターの近くにあります。広い駐車場があります。オリジナル御朱印帳もブームになる前から取り扱っていたところなので是非とも購入したかったです。
【祭神】
誉田別命、気長足比賣命、比咩命
【鎮座地】
群馬県佐波郡玉村町下新田1